映画『この世界の片隅に』 感想
片渕須直監督の『この世界の片隅に』を見たので感想を書きます。
他の映画を見たときにcloud fundingで資金を集めて制作した映画、という予告が流れて興味を持った映画でした。
何かと話題の能年玲奈ちゃん(私は彼女、すごく好きです)が主人公の声をやっているということで、すかさず見に行ってきました。
ちょうかんどうしました。(ボキャ貧)
以下、公式サイトからの引用
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。
夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。
ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。
というあらすじです。
以下、感想です。
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戦争をテーマにした映画は枚挙にいとまがないけれど、一番近い映画はジブリの『火垂るの墓』が思い浮かびました。
でもやっぱり戦争映画となると非日常感が出てしまって、どこか遠い世界の話のようにしか思えないんですよね。
『火垂るの墓』もすごく悲しい話で心を打たれるんだけど、まず映画という枠、そして時代という枠、でさらに戦争という枠があって、今私たちが生きているこの毎日から遠いものになってしまってる感は否めない。
そこの距離感のなさがこの映画が絶賛されている要因の1つじゃないかなぁと思っています。
昭和1桁に生まれた主人公すずさんと、平成に生まれた私がいとも容易くリンクしてしまう。
のびやかに、毎日目の前のこと一つ一つに喜んだり戸惑ったりしていて、私と変わらない人がそこに「いる」んです。
すずさんはのんびりやさんでどじっこで、すごくチャーミングな人柄で、戦争が始まる前にあるような描写のハラハラ感も全くなく、「これはコメディか」と思ってしまうような、映画館の中に笑い声がこだまする映像が続きます。
これまでの戦争映画って明るい日常は冒頭にちょろっとあるだけで、すぐに戦争という非日常感が漂ってきてきて町が火の海になったり、ちょっと突然過ぎませんか。
登場人物たちも「いよいよ戦争だ」「これからどうなるんだろう」といった様々な困惑の姿を私たちに、映画的に誇張された形で提示してくるものが多い。
そのはっきりした覚悟を私たちも感じて、身構えてから戦争が起こるので、戦争の衝撃に強くなってしまっていたりします。
非日常感が増して、見ている観客はちょっと他人事になってしまう。
でも『この世界の片隅に』という映画は、日常がベースでした。
すずさんたちも、私たちも、大した覚悟もないまま、突然戦争が牙をむいてくる。
それが辛くて辛くて辛くて、、、
ほんとういいえいがです。(ボキャ貧)
やがて彼女は突然結婚話が飛び込んで結婚するんですよね。
で、やっぱり夫の家に入るわけですからまぁ大変なことが多いこと多いこと。
絶対私にはできないなぁ…
家族の誰よりも先に起きて井戸から水を汲んで朝ご飯を作ることから始まり、ご近所付き合い、義理の姉からのいじわる、友達もいない孤独な環境、それらを「当たり前」として乗り越えてこなしていくすずさんの姿に、私もいちいち屁理屈をこねくり回して面倒なことから目を背けてちゃダメだなとちょっと反省しました。
すずさんの頭にハゲができちゃうエピソードは大好きです。
印象的なセリフで「戦争がまだ大事だったころが懐かしい」というのがあります。
いつのまにか戦争が日常になってしまうんです。空襲警報に飽き飽きしてしまうんです。
配給の生活も当たり前になるし、野草を食べることも楽しめるくらい日常になるんです。
21世紀、2016年、終戦から71年たった劇場の椅子に座っている私の日常とリンクしていたすずさんの毎日に、過酷なものがやってきました。
しかも「ここで感動してほしい」「ここで衝撃を受けてほしい」というような押し付けがましい描写が一切なく、淡々と物語が進んでいってしまいました。
ある意味では残酷です。
その衝撃を消化する前に次の衝撃が来てしまうから。
どんどん衝撃に慣れきっていって、とてつもなく大きな衝撃も立ち止まらずに対処できてしまう。
私たちも何かに慣れきって、大切なものを見逃しているのかもしれない、すでに見逃してしまったのかもしれない、と頭をよぎったら途端にこわくなりました。
他にも慣れきって意味を考え直さなければならないことが、私たちにはたくさんあるはずだとハッとさせられました。
ある映画がほんとうに良い作品かどうかは、その作品を見終わった後、自分の日常に戻った時にその現実を捉えるメガネが変わるかどうかだと思っています。
きっとこの映画を見た人たちはそれぞれがそれぞれに考えることがあっただろうなぁ。
戦争は本当になくなってほしい。
戦争はビジネス、戦争は自国への反感感情の吐け口となり統制が楽、などとかつては理性的に戦争をする理由、すべきでない理由を分析していたこともありましたが、この映画を見ると理性なんてものではなく本能的に戦争の業の深さがしみてきます。
某星条旗の国の大統領となる人が日本にまさかの核保有を求める主張していましたが、この映画に感動することができている日本人はあの国には屈すはずがないと確信を新たにしました。
はーーーどうなるんでしょうね。
だんだん世界が閉鎖的になっていってて、ちょうど今転換期なんだなぁと色々考えなければいけないなぁと思いつつ、怠惰で見ないふりしてきた部分もあって自分にも落ち込んだりしました。
天皇陛下の終戦スピーチも、確か天皇は日本国民を守るために自分の命を捨てようとしたんだったっけ、とエピソードを思い出したらまた泣けてきて、戦争は例外なく全ての人を不幸にする絶滅すべきものだとずっと胸の中で渦巻いていました。
そして、たった一人で広島市から呉市にやってきたすずさんを大きな愛で終始包んでくれていた周作さんとの関係も感動的。
家事をする、という誰にでもできるような役目以外に、すずさんに生きていくかけがえのない理由を(結果的に? / 意図していないとしても)与えて支えていた周作さんがいたからこそすずさんは前向きに生きてこられたのだと感じて、また涙が止まらなかったです。
あともう1回くらい見ようと思います。